自分を発信できない人間は生きていてはいけないのか?価値主義が促進する格差リスクと対策とは?

戯れ言

僕はどちらかというと個人主義的なところがあります。第四次産業革命を迎えている現在とこれからの未来についてポジティブに受け止めて、その活用方法について日々考えています。

第四次産業革命(AI・IoT・Fintech・トークンエコノミー・シェアリングエコノミー等)が本格的になっていくと、「誰でもできること」は機械がやってくれるので、そもそもの単純労働という概念がなくなります。そうなると、より観念的で定量化(数値化)できないような領域で自分を発信できる人の価値が上がっていきます。そうなることは僕個人的には面白いことだとは思うのですが、その反面かなりのリスクが存在しているのも事実だと感じています。

その最も大きなリスクは「自分で自分を発信することが得意ではない人間はどうやって生きていけばよいのか?」という大きな問いです。このままいくと自分発信ができない人はあたかも落伍者のように扱われかねなくて、より一層の社会格差を生む可能性が高いのです。

今日はそこらへんについて個人的な戯言を書いてみます。

収入格差が生まれるリスク

まず私たちの生活において一番重要な「お金」の問題です。現在ある職種のうち、特に単純労働にあたる部分は100%AIに取って代わられるため、そういった職種についている人は仕事がなくなります。もちろんその時代に合った他の新しい職種も生まれてはきますが、それは定量的(数字化できるもの)では基本的にはありません。数字にできるものというのは最もAIが得意とすることなので、人間は太刀打ちできないからです。また、一見人間にしかできなそうに思える分野、例えばコールセンターなどもビッグデータから質問内容に対して的確にこたえる部門ができれば、残るのはクレーム対応の小さな部署くらいで、一般的な部署は無くなります。そうなると、現在特に派遣社員として働いている方々の一番の収入源であるコールセンター業務やデータ入力・事務・工場単純作業、などの仕事は無くなることになりますから、「仕事がない層」が一気に増大します。

一方で、個人発信ができる(得意)な人たちというのは、発信ができるプラットフォームがどんどん増えてくので、自動的にそこからお金が発生して潤っていきます。今現在もその片鱗は出てきているのはインスタグラマーやユーチューバーやライバー(ライブ配信で投げ銭をもらえる人)などを見ても明らかでしょう。つまりは自己表現と自己発信ができる人はどんどん富み、それができない人はどんどん貧しくなるという状態がすぐそこまで迫っているわけです。

精神的な格差も生まれる

本来「自己表現がうまい」というのは人の一つの個性にすぎないわけですが、この価値主義が単純にこのまま進んでいく場合には、「自己表現ができない=悪」という図式が当てはまってしまいます。しかも信用スコアや各種SNSの「人の数値化」が顕著になるにつれ、「自己表現ができない人は負け組である」というねじ曲がった価値観が生まれます。そして人間は簡単に情報や雰囲気に流されてあたかもその状態が正しいと思い込みますから(というのもその方が生存本能的に適しているから当たり前なんですけどね)、大多数の人々がその価値観を刷り込まれます。そうすると「表面上キラキラ生き生きしている発信できる層」と、単純に「発信ができないだけで人としての尊厳を無視されてしまう層」の大きな精神的な格差が生まれます。人間の中で自己承認欲求は3大欲求と同じくらい重要になってきますので、下手をすると犯罪などの増加にもつながりかねない由々しき事態に陥る可能性もあると思います。

誰もが大前提として生きることを認められるには?

となると、僕は大前提として「誰もがまずは生きていていいよ、そのうえで好きなことをやって発信したい人はどうぞ発信してください」という構造的なシステムが必要になると思っています。よく勘違いされているのは、「AIが労働者の仕事を奪った場合、その労働自体が無くなる」という考えです。当たり前ですが、労働そのものは機械が行います。つまりは事業における生産性は落ちずに、そこで働く人の人件費(と仕事自体)がなくなるだけ、ということです。そうなるとすべての人々のもう一つの側面である「消費者」の顔は残るわけです。ここで重要となるのは労働=人間がいらなくなった企業が創出する不労利益の行方です。その利益をうまく循環させるシステムをつくることが、前述の「大前提としての定義」に当てはまっていくわけです。

ベーシックインカムで精神的な格差を埋める必要性

僕がその中で一番重要だと思うのは、ベーシックインカム制度の導入です。ベーシックインカムとは、機能していない保障制度の予算を集め、全国民に一律で最低限の給付金を毎月必ず給付するという制度です。たとえば1人あたり8万円だとすると、3人家族では無条件で毎月24万円の給付があるわけです。

このベーシックインカムは表面上の金銭的な部分を議論にすることが多いのですが、僕はそれ以上に精神的な効用がものすごく大きいと思います。というのも、前述した「精神的な格差リスク」をなくす唯一の方法だからです。

全員がまず当然に生活できるという状態は自尊心を守ってくれる

物価の安い田舎に住んだとしたら、贅沢さえしなければ4人家族なら32万円(8万円と仮定)の給付があるので十分に生活していけます。そして、ここがポイントなのですが「仕事をすることはただの選択肢のひとつ」となることです。そうすると、自己を発信してお金を得る人もただその人が選択したこと、そういったことをしない人も別に誰からも責められることはない、というセーフティーネットが出来上がります。何故ならば、自己表現して過剰なお金を得る人も、そうでない人も、毎月等しく権利として最低限の生活を確保する給付金が受け取れているからです。現在の生活保護制度などと比べられることが多いベーシックインカムですが、似て非なるものであると僕が思う要点はそこなのです。

制度の早急な整備と、人々への啓蒙の大切さ

今でさえSNSなどで「いいね」を多くあつめたり、フォロワーが多い人があたかも人間として優れているような風潮になっています。個人的には社会がどうなろうと静かにその時にすべきことをする方が良いという考えなのですが、一般的に考えるならば今までお話したような「ベーシックインカム(もしくはそれに準ずるシステム)」「私たちひとりひとりが価値主義について客観性をもつこと」の2点が重要だと思います。できればそこら中に浮浪者が溢れる世の中よりは、誰もの最低限の権利が保障されたなかで「強制されない選択肢」が存在する世の中の方が見てみたいなと思うのです。

自己表現や自己発信が得意でなくても「いいやつ」って本当に沢山います。仕事の能力がそこまで高くなくても「いいやつ」ってめちゃくちゃ沢山います。そういう人たちの尊厳が一律な価値主義評価で決められるのは、やはりおかしいんじゃないかな、とも思うのです。

というお話でした。

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