飛ばねえ豚はただの豚だ。紅の豚に学ぶはみ出し者の生き方について

戯れ言

ジブリ作品で何が1番好きか?この不動でメジャーな会話を人生で何度したことか。基本的に宮崎駿監督は「自然と人間の対立」「エコロジーとエコノミーの両立のジレンマ」などを背景として描くことが多いのですが、1作品だけ明らかに毛色が違う作品があります。そう、「紅の豚」です。(風立ちぬ、は置いときます)。

僕は個人的に「紅の豚」が1番好きです。

先日の地上波放送もバッチリ録画しました。

で、よく議論になるのが「何故主人公ポルコは豚になってしまったのか?」だと思いますが、これには明確な答えはないと思います。

というのもこのファンタジーは非常に詩的で抽象的で、明確な文脈は存在しないからです。

では、僕が個人的に考える「豚とは何か?」についてお話ししたいと思います。

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何故「豚」は卑下の象徴として扱われるのか?

「豚」は現代社会においてあまり良い意味では使われませんよね?「この豚ヤロー」とか、「豚に真珠」ということわざとか、とにかく良い意味では使われません。(豚は実は頭も良くて綺麗好きな生き物なのにね)。

何故ののしる言葉として「豚」が使われるようになったのかには新約聖書に豚に真珠の件が出てくるなど諸説あるようですが、今回はそこは掘り下げません。

紅の豚における「豚」とは何なのか?

僕は「豚」とは「社会からはみ出した生き方を選んでしまった個人」の事だと思っています。そしてそれを意識した瞬間に個人は社会の中で「豚」として定義されてしまいます。

つまり、豚とは「社会の中で役に立たないもの」です。

僕は個人的には夢とか目標とか持たない人生でも、その個人が心穏やかに過ごせるのならば別に問題ないと思っています。

ですが、一日中絵を描いている売れない絵描き、売れる気持ちのない路上ミュージシャン、ずっと漫画ばかりみて過ごしている人、特に目的もなくフラフラしている人、現代の言葉で言うとニート的な人というのは社会にとってみれば「豚」です。一方ものすごく志があって目標もあり、何かに一生懸命になって活動している人もたくさんいますが、その人たちも社会的な結果を出す事ができなければ同じ「豚」です。社会からしたら、志などは全く関係なく、生産力のない者は全て「豚」なんです。

つまり、自分は豚だからこそ、高く速く高貴に飛ばなければならない、何故なら「飛ばねえ豚は、ただの豚」だからです。

もしも飛ばなければ、宮崎駿は社会に必要のない豚

ここにこの物語の核があります。その核を中心に男としての生き方やロマンのようなものが展開されています。

紅の豚は宮崎駿個人の人生哲学が反映されている珍しい作品です。宮崎駿ってみんな知っての通りの天才ですけど、初めからすごくうまくいっていたのかというと決してそうではないんです。30代半ばまで小さなヒットはたまにあったものの、これといって代表作があるわけではありません、37歳の時に監督をしている連続アニメ「未来少年コナン」は当時低視聴率、「ルパン三世 カリオストロの城 」で長編デビューしたものの、大衆受けせずに興行的に大失敗(あの名作が!?)、その後しばらく長編を撮るチャンスはなくなります。

その後腐らずにのちの大作となる様々な物語の原案を考え、「風の谷のナウシカ」の映画化を徳間書店に売り込むも、「原作のないものは無理」と言われて成立せず。(後に原作を連載して、映画化にこぎつける)。

その後、実は「天空の城ラピュタ」「となりのトトロ」も興行的にはヒットしてないんですよ。(後にグッズ展開や再放送などで人気を博しますが)。劇場映画としてヒットしたのは1989年の「魔女の宅急便」からなので、実に48歳までちゃんと世間から評価されていなかったということになります。ちょっとびっくりですよね?

例えば彼が普通のサラリーマンアニメーターとしてやっていたとしたら、会社にも重宝されてうまく出世できていたでしょう。ですが表現者としてはみ出し者になった宮崎駿はその時点で「豚」になりました。しかし、魔女の宅急便以降からは確実に誰よりも高く速く高貴に飛ぶ豚になったというわけです。

苦労している時期があるので、宮崎駿は「飛べねえ豚は、ただの豚だ」という事を身に染みて理解しているのだろうと思います。

僕はまだまだ全然低空飛行の豚なのですが、既存社会からはみ出した者の楽しさとともに其れ相応の苦しさも重々分かっています。

ただし、はみ出したからには、飛ぶしかないんです。

飛んでる豚が沢山いる世界

豚にとっては大変な時代が実は過ぎ去ろうとしています。グローバル資本主義の課題の1つは「過程の滅却による不均衡」です。この事が様々な軋轢を産んでしまい、悲しい出来事に繋がっています。

ただ、第四次産業革命以降にはこの「過程の滅却」が少しずつ無くなっていきます。そうすると、豚に有利な世の中になっていきます。このブログでも何度も取り上げているように、はみ出した個人のスペシャルな価値がそのままその個人の生活力に直結できる社会になりつつあるからです。

そういう意味では「飛んでる豚だらけの世界」になる可能性もありますよね。そうなると飛んでいる奴らが普通の人間になって、また他に「豚」が現れるのかもしれませんが、それはまた別の物語。次の機会にお話ししましょう。

まとめ

うん、つまり。

「飛ばねえ豚は、ただの豚だ」

だから、飛ぼうぜっ!なあっ!おいっ!

というお話でした。

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